![]() ![]() 中村光治 (名古屋市在住 鈴鹿改正病院産婦人科) ![]() 橋本悟 (京都府立医科大学附属病院集中治療部 部長 NPO法人 集中治療コラボレーションネットワーク(ICON)理事長;2022年4月から専任) ![]() 河本政一 (大阪市 かわもと医院) ![]() 江本敬 (豊中市 江本医院) ![]() 原文雄 (池田市 文月会原医院) ![]() 角辻格 (高槻市 角辻医院) ![]() 江本敬 (豊中市 江本医院) ![]() 橋本朋子 (亀岡市立病院 麻酔科) ![]() 鷲見宜彦 (豊中市 スミ内科) |
皆様 明けましておめでとうございます。 大阪府医師テニス協会会報に寄稿を、と私のテニスの師匠である原文雄先生、統子先生から昨年末に依頼を受けました。Noは絶対無理と覚悟し大阪府医師テニス協会ウエブサイトを参考にすべく拝見しました。そこには大阪府医師会の方々のみならず、全国の皆様の珠玉の文章が並んでおり、その面白さに思わず時間のたつのも忘れ、年末の大掃除を手抜きしつつ読みふけってしまいました。この整然と整理された内容、改めて原ご夫妻のマメさに感じ入った次第です。この会報の寄稿文に私が登場するのは実はこれで二回目です。 初登場は妻の朋子(亀岡市立病院勤務)が「天然芝と天然ボケ」という寄稿をさせていただいた時です。妻に誘われてはじめた、へぼテニスプレーヤーの私が天然ボケという訳です。子細はぜひウエブサイトにてご笑覧ください。また妻の「筋トレのすすめ」もあわせて読んでいただければ私どもの夫婦の姿が想像できるかと存じます。また高槻の川口憲明先生が2007年に寄稿された「テニス部とロマネコンティ」にもロマネコンティに群がった「ノムリエ」として参加させていただいており懐かしく思い出します。 前置きはさておき、今回は原先生よりCOVID-19について書いて欲しいとのご依頼でした。本号にて原統子先生がCOVID-19の詳しい内容を格調高く寄稿されていますので、私は自分の仕事にまつわる経験談を書かせていただくことにさせてください。どうかしばらくお付き合いいただければと存じます。 2年前の2020年1月9日、中国武漢における肺炎の集団発生についてのWHO声明を厚生労働省が「海外感染症発生情報」として公表しました。さらに国内での第1例(武漢滞在のビジネスマン)が1月15日に報告されました。が、まだ我々医療者もエボラ出血熱やMERS、SARSのように今回も世界の向こう側で発生した新興感染症かなという感じで今ひとつピンと来てなかったのではないでしょうか?この年の春節は1月25日から始まり例年よりやや早い時期だったためもあり、武漢も含め中国からは2020年1月だけで90万人(前年比22.6%増)を越える方々が訪日したことからも警戒レベルは低かったと思います。そこに忘れもしないダイアモンドプリンセス号の横浜港での隔離が始まりました。これが2月3日のことです。私も含め医療者の方々がなんとなく不安を覚えだしたのもこの頃ではないでしょうか? 私も仕事柄、出張が多く当時は東京はじめ月に5回前後は国内外を飛び回っていました。
<図1 CRISISの一部> ![]() ※https://crisis.ecmonet.jpより 通常はデータベース作成に先駆けて研究計画書を書いて、各施設の倫理委員会に審査依頼をしてその結果を数週から数ヶ月待つという手順があるのですが、今回は研究と言うことを度外視して、患者救命を第一にしよう、歴史に残そうというコンセプトで作りました。集められたデータを直ちに公開するということを目的としたわけです。このような考え方はこれまでの日本の医療機関(特に大学をはじめとする教育機関)ではなかなか受け入れていただけなかったものです。また作成した当初は、このあとCOVID-19の重症患者が増えなければ、それはそれで喜ばしいけれど、このデータベースは作っただけで無駄骨になるなとネガティブな予想もしておりました。実際に2月11日の時点でCOVID-19で重症として人工呼吸になった方は3名(うち1名はECMOで全員ダ号から)だけでした。2月12日に7名がさらに人工呼吸が必要となりそこから一気に重症者が増えていったのです。これらは2月後半に各施設がデータを入力してくれた結果、判明したことでした。同時に、60人ほどの集中治療や救急医療関係の有志医師集団が24時間の病院向けCOVID-19重症者専用医療相談窓口を立ち上げ、このデータベースの入力も担ってくれることになりました。これが皆さんもご存じかも知れませんが現在の日本ECMOnetというNPO法人です(https://www.ecmonet.jp)。日本ECMOnetが人的なネットワークを通じて集めたものがCRISISのデータとなっております。ECMOnetの役割について図2にお示しします。 <図2 ECMOnet 活動の概要> ![]() 暗中模索の中でスタートしたデータベースですが、悪い予感が的中し、4月末には700名を越える重症者が登録された第1波に続きこれまでに5つの波が日本に襲いかかったわけです。とりわけ第4波では大阪府内で多くの重症者が発生し、経験が少なく人手も少ない二次救急病院でも人工呼吸管理を余儀なくされ、また待機中の死亡が少なからず確認されるなど深刻な問題になったことは記憶に新しいかと思います。この時の大阪府内の医療従事者の方々は、本当に頑張られたと思います。もう少しでも重症者が増えていたら医療崩壊が起きていたかもと想像するだけでもぞっとします。まさにギリギリの状況で最悪の事態を免れたと言って良いでしょう。これを教訓にECMOnetでは2021年の6月に沖縄県に、そして8月には東京都にのべ300人日の規模で医療従事者派遣を行いました。これは主にECMOの経験の少ない病院(短期間の心臓補助のVA-ECMOの経験はあっても、長期にわたる肺補助であるVV-ECMOの経験がほとんどない病院が大多数です。)や人工呼吸管理の経験の乏しい病院への応援および患者搬送業務を行ったのです。我が国では感染症指定病院であっても救急医や集中治療医の配備が少ない施設が少なからず存在したためこのような要請を厚労省からいただいた訳です。第一種、二種の感染症指定病院が必ずしも重症患者を管理できるわけではないことは私自身にとっても驚きでした。この間に流言飛語も飛び交い、COVID-19恐るるに足らずとか、ワクチンは危険というようなSNSも数多く、ECMONetではその対応にも追われました。 ここで強調したいのは今回のCOVID-19で重症化し人工呼吸に至った方のCRISISへの登録は10000人を少し越えるほどだったことです。さらにECMOまで要した方々は1200名ほどでした。この数は他の重症呼吸器系疾患と比べると圧倒的多数ではあります。我が国ではこの12000人弱の方々の救命率は80%近くでした。高度の後遺症を残しての方もおられますが9000人以上の方は救命されています。これは2020年初期のイタリア北部や米国ニューヨークで医療崩壊が発生した時の人工呼吸患者の救命率が10%程だったことと比べても大変良い成績です。しかしこれは胸を張れることではありません。日本においてはCOVID-19の影響がこれらの地域よりも少なかっただけのことです。日本の集中治療のレベルは決して欧米諸国に引けを取るものではありませんが、日本でも彼の地のような修羅場が起きえた可能性はあったことは肝に銘じる必要があろうかと思います。さて上記の話を読まれて「はて日本におけるCOVID-19の死者は1万8千人といわれているが、それでは数が合わない」と思われた方もおられるのではないでしょうか?我々も当初はそう思いました。もしかしたらデータベースへ入力していない症例が多いのでは?とも思ったのですが自治体毎の統計などから推測しますと登録漏れは多くても全体の20%にも満たないだろうと思われます。ここでほぼ全数を把握できている京都府の例を示します。 京都府の人口は250万人で、おおよそ日本の1/50のミニチュアと見ていただいて良いかと思います。 COVID-19による総死者数は2021年末で291名でした。この291名のうち人工呼吸/ECMO管理をされて亡くなった方は64名でした。あと自宅やホテルで隔離中に亡くなったと報告されている方が25名ほどおられますが、200名を超える方々は療養所や軽症受け入れ病院で重症治療をせずほぼ看取りの形で亡くなられています。これらの方々が皆様高齢者であったことは言うまでもありません。無理な治療を行わず苦痛緩和だけをして看取られたと申し上げた方が良いかと思われ、療養所や軽症受け入れ病院の医療者の方々の懸命な姿が目に浮かびます。この影響で重症病床は逼迫をかろうじて逃れることができたことも事実です。これは京都府の一例ですが全国で同様のことが起きていたと考えられます。11月以降死亡数が激減したことは高齢者に対するワクチン接種の普及によるとして間違いないでしょう。 以上、今回の一連の事案により私自身も多くのことを学ばせていただきました。中でも医療者同士の信頼関係構築が重要であるということを改めて感じた次第です。もちろん現在のICT (Information Communication Technology)技法は飛躍的進歩を遂げており、それによって今回のようなプロジェクトを容易に達成できたという側面も否定はしません。しかし、結局のところもっと泥臭い、人と人とのつながりでこのデータベースはできあがったと言っても過言ではありません。日頃からお付き合いのあった全国の多忙な医療従事者の方々にメールや電話でデータ入力をお願いするという中で連帯感が広まり、多くの方々の協力があってはじめてこのような形ができあがったということです。これが縁となりコロナ禍が過ぎ去ったらぜひ一献傾けましょうと何人もの方々と約束している次第です。 第6波では重症者が少ないという特徴があるようですが、それでも患者数が増加すればまたぞろ重症者が出てくる可能性はあります。この原稿を書いている段階(1月6日)では海外でも国内でも患者数が増大してきており予断を許さない状況と拝察します。どうか皆様も自身やスタッフの安全を確保しつつ次に備えてください。 ではこれから先COVID-19が軽症化し、ただの風邪になっていることを祈りつつ、筆を置かせていただきます。 あとがき(しつこくて、すみません。) この4月から私が専任します集中治療コラボレーションネットワーク(略称 ICON)では、集中治療領域におけるICT推進、特に遠隔ICUを広めていく活動を行っていきます。ここにご紹介した姉妹NPOのECMOnetに対してCRISISの技術供与を行っております。ご興味があれば下記URLを覗いていただければ幸いです。 集中治療コラボレーションネットワーク(ICON)HP https://iconjapan.net
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カルテを見ると、ちゃんと「トリアージ加算」を算定しており、ホッとしました。 「江本医院では発熱患者さんについては、出入り口や院内の区画を別にしておりまして、一般の患者さんや職員とは接触しないよう、江本独りで診療をしております。この方の時も隔離された感染症区域内で、私がPPEで診ておりました」 注釈:PPE=personal protective equipment個人用防護具のことです。 「そうですか、それは大変結構でした。けど今後、もし何かありましたら、いつでもご連絡くださいね」と言って、声の優しい先生の電話は終わりました。 この2020年3月31日初診の方が、当院でのCOVID-19感染症の第1号でした。 この頃は、ダイアモンド・プリンセス号の横浜入港から約2か月で、それは船内での感染者712例と14例の死亡が確認された、とても悲惨な事件でした。 むろん船外においても、国内での市中感染は拡大し、流行第1波の頂点に近いころで、3月20日から春休みまで全国一斉休校の措置が取られました。また大都市での第1回目の緊急事態宣言が発令されたのも、この時でした。しかし第1波の頂点でさえも、1日の感染者数は全国で500人前後という、今から思えばまったく穏やかな流行ではありました。 実はこのころはまだCOVID-19感染症がどんな疾患か、よく分かっていない時期でして、感染力や致死率もよく把握できておりませんでした。分からないものは、とても恐いものですね。そしてその恐い感染症の可能性がある発熱患者さんについて、江本医院で診療するか否かの決断を、2020年の2月には迫られておりました。私や職員の命の危険を冒してまで、COVID-19感染症の診療を、はたして当院でするべきかどうか。 その答えを、私はほぼ一瞬で出しました。 「ここで逃げ出したら、今までの医師としての人生のすべてが、価値を失いはしないか」 「若い方達とは違って、仕事でも遊びでも人生を充分に味わい尽くした。男子の本懐はすでに遂げていて、命はいつでも捧げる用意がある」 「しかし当院の職員の方達は別である。対価を支払って働いてもらってはいるが、命まで預かった訳ではないので、職員たちを危険にさらしてはならない」 「普段、決して偉そうにしていたわけではないが、私は院長然として鷹揚に構えていた。今からは私が単独で最前線に立って戦おう。いわばこれは私のノブレス・オブリージュである」 そうなると、方法はもうひとつしかありません。 前述のように、院内を区切って発熱外来区域を作り、その中で私ひとりだけで受け付けから診療、検体採取、そして処方箋を渡して会計までするという、すべての診療行為を済ませるのです。時には胸部エックス線撮影も必要になり、これがまた大変な作業です。 「釣銭もありますよ、1万円?大丈夫です。でも2,320円なんで、20円はありませんか? ない? はいはい、ではお釣りです」 PPEを着たり脱いだりの時間も入れると、ひとり当たりたっぷり15分はかかります。多いと1日10人近い方の検体採取をするので、一般の患者さん達に、かなりのしわ寄せが行ってしまいます。 感染症外来で診察する私と、受け付け窓口会計パソコンとのやり取りは、スマホのラインを使います。そのスマホを通じて感染を受けないよう、防水ではない私のスマホはサランラップでくるんで感染区域に持ち込み、出るときにはたっぷりと消毒液をかけ回します。 それで面白いことに気づきました。サランラップでくるんだあと、余分なラップを切り取るのに、カッターナイフを使います。それで判りましたが、カッターナイフでも先発品と後発品では機能が異なります。後発品のカッターナイフでは、サランラップは引っかかってちぎれるばかりで、うまく切れないのです。刃を新しくしても同じでして、ちゃんと切れるのはオルファ製だけでした。紙を切っている分には分かりませんが、百均のカッターナイフではサランラップさえ切れない。ジェネリックのカッターナイフはだめでした。 2020年7月15日付けで、厚労省から下記の通知がありました。 「医療機関において、PCR検査や抗原検査を実施する場合には、都道府県等と医療機関との間の委託契約を締結していただき [ 患者に対して自己負担を求めることなく ] 当該部分については、公費負担として処理されるもの・・・」 私は即座に豊中市一番乗りで、医師会を通じて大阪府との間の集合契約を結びました。従いまして、2020年8月からは自院で実施したCOVID-19のPCR検査部分に関する一部負担金、約6千円は徴収不要となったのです。 このことが大きな弾みとなって、以後はほとんど全ての発熱外来の患者さん達にPCR検査を実施してきました。この1年4ヵ月でのPCR件数は1,100件を超え、また何度か繰り返した流行の波による大きな増減もありましたが、PCR検査陽性の症例数は100例を超えています。 症例ごとのPPE交換、そして毎診療時間ごとに行う室内や器具の消毒と、オゾン発生装置による感染区域の ウィルス対策が奏功したのでしょう。目下のところ私を含めて職員の感染は無論、通院中の患者さん達のど なたにも感染例が出なかったことで、このウィルス対策に自信を持つことが出来ました。 さて、話しは度々前後して申し訳ありませんが、当院でPCR検査を始めたころには、心無い人による嫌がらせもありました。 私は、正面玄関のドアに「今後当院でPCR検査を実施すること、しかし院内は完全に分離されており安全であること」などについての張り紙を出しました。すると翌日の朝には、もうその横に不審な張り紙があったのです。 「PCR検査なんかをし出したら、もう江本医院へは行けなくなります。やめてください」 恐らく近所に住む方が、COVID-19を怖がってのことだったのでしょう。気持ちは分からないでもありませんが、そのぐらいのことで戦意を喪失してはいられません。 (そんな人には別に来てもらわんかて、いっこもかまへんでっ!) と、急に強気の大阪弁になってますます意気軒昂、どんどんやって来る発熱患者さん達を診ておりました。 すると、2週間ほどして医院のホームページを通じて、こんどは匿名のメールが入りました。 「個人の医院でPCR検査までしているところは、ほとんどありません。近くに先生のような方が居てくれて、心強い限りです。貴院に心から敬意を表します」 思わず心の中で快哉を叫びましたね。丁寧なお礼の返信を送ったことは、申すまでもありません。 また、こんなこともありました。ある日、次女からラインが入ったのです。 「私の同級生が、岐阜の田舎に帰って買い物に行ったら、ゴム手袋を無制限で売ってるって。『20箱くらい買って帰ろうか? お父さんとこ、要るでしょ』って連絡してきたけど、どうしたらいい?」 今でこそふんだんにありますが、マスクや消毒液そしてゴム手袋なども、どこへ行っても売り切れか、あっても個数制限で買えるのはせいぜい二箱までの頃でした。本当に有り難いお申し出でして、さっそく購入をお願いして、お礼のメールも次女から転送してもらいました。 まったく知らない方達までが、そうやって有形無形の応援をしてくれる。本当に涙が出るほど有り難いことでして、また一段と戦意が昂じたことは言うまでもありません。 発熱外来を始めてからもうすぐ2年になりますが、この先まだまだ猖獗を極める可能性もあります。ですが、このCOVID-19感染症との戦いと、合間をみては仲間とするテニスのお蔭で、いつまでも元気溌溂として暮らせます。 2022年6月で75歳、後期高齢者の区切りがやって来ることになりました。ご遠慮申し上げてはいるのですが、歳の方でかってにやって来るので困ったものです。けれど仕事でもテニスでも、品性と理性、知性を少しでも向上させるよう努めて「高貴高齢者」を目指します。
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廃ボール活用、幅狭コートシングルス、ハンディキャップ制導入も??(2021年会報より) 日本医師テニス協会理事長 大阪府医師テニス協会名誉会長 原文雄(池田市 文月会原医院)
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「1年間の実験」(2016年度会報より) 原統子先生より、私がH27年9月の自分の誕生日にFace
Bookに投稿した文章を、「会報に掲載してよ。」と言われ、統子先生の会報原稿集めのお役に立てれば・・とのことで寄稿させて頂くことになりました。 医師向けに書いた訳ではなくあいまいな表現も多々あり、多くの先生方からしてみれば稚拙な内容と思いますので、いざ原稿を出す段になって逡巡して来ましたが、書き直す時間もありませんのでFBの文章をほぼ原文ママで寄稿致します。 ただ、その後数か月で得た知見も少し追記しておきます。 さて、普段、あまり投稿はしないのですが、今日で丸1年間取り組んでいたことを備忘録がてら投稿させてもらいます。 FBに投稿すべきでないような長文と思いますが、誕生日なのでお許しを・・・ Ketogenic & Intermittent fasting(IF)&
Bouldering 今日で46歳になりましたが、この1年間は上記の事をやっていました。 知人から勧められKetogenic & Intermittent fasting(IF)をH26年9月2日から、そして以前から少し興味のあったBoulderingはたまたま職場の近くにジムがあることがわかり軽い気持ちからその1ヵ月前の8月ころからやってみていました。 そもそも前二者は食生活の改善?(人によっては改悪と言う・・)、後者はまぁトレーニングの一種という位置づけでした。 まずketogenicとは簡単に言うと糖質制限の食生活です。これは今まで糖をエネルギー源として活動してきたのをケトン体(脂質)をエネルギー源として活動するという体質の転換です。学生時代に生化学で習った脂肪のβ酸化で出てくるあのケトン体です。通常、飢餓状態、糖尿病の人に出ることがありますが糖を利用して活動している人にはあまり多量には出てきません。 糖の摂取を止めると、3週間ほど辛い症状がでます。ただ、その期間を乗り越えないと脂質代謝に体が移行しないのでやむを得ません。まぁこの辺のことから書き出すと一冊の本になってしまいますし、多くの本が出版されているので興味ある方はそちらをご参照してください。 さて、それプラスIFをしていた訳ですが、これは簡単に言うと1日1食、夜だけの食事です。Fast=断食の簡易版みたいなものです。毎日プチ断食という感じです。 当初は空腹感もありましたが、慣れると全く空腹感はでてきません。水だけ飲んでいればOKです。食生活に関してはこの2つの手法を1年間実践してみました。 そして、運動面ではたまたま聞いた「ボルダリングおもしろいよ」という言葉からやってみることにしました。岩登りの室内版って感じでご存知の人も多いと思います。 やられた人は分かると思いますが、それはそれはいろんな意味で大変です。人間はこんなにも手を使っていないのだ・・・と実感します。 さて、これらのことを1年間やってのメリット、デメリット、総括をしておこうと思います。()内はメリット・デメリットに寄与したと思われる事柄です。 メリット 1日1食で済むので時間を有効に使える。(IF) 朝・昼の食事の事を考えなくて済む。(IF) エネルギー切れになることが無い。(Keto) 以前に良く起こしていた低血糖発作が全くなくなる。(Keto) 免疫力、抗炎症作用の向上が体感できる。(Keto?→これはのちに肉食の効果と推測) 体脂肪の低下(場合によりデメリット)。(Keto) 中性脂肪、血糖の低値安定。(Keto) 筋肉量の増加(特に体幹)。(Bouldering) ゴルフの飛距離アップ。(Bouldering) テニス後の筋肉痛の軽減。(Bouldering?) ズボンが安く買える。 デメリット 外食・会食が困難。 1食にも関わらず食費が莫大になる。(1食で肉を相当量、野菜もサラダボウル一杯を一人で食べるため・・) 体脂肪の低下。(冬場は寒い、飢餓になると真っ先に命が危ない) コレステロールの上昇。 尿酸値の上昇。 食事の誘いが減る。 変人扱いされる。 少しナルシストっぽくなる。
総括 Ketogenicについては糖質制限ということでいろいろな本に書かれているように賛否両論ありますので、現時点では特に他人に薦めませんし、するという人もあくまでも自己責任でやるべきことと考えます。そして、それが健康に良いかと問われると答えは「?」です。 データ面で言うと、脂質を多く摂ることが原因と思われますが、コレステロール値は激増しました(個人差あるようです)。そして、タンパク質(特に肉)中心の食生活になりますので尿酸値が増加します(多くの人でほぼ上昇します)。この二つだけを取ってもこれが健康的と言えるか?と言われるとNOと言う人が多いのではないかと思います。 もともとそんなに太っていた訳では無いので減量目的では無かったのですが、体重は開始時68㎏程度だったのが1か月程度で63㎏程度に落ち、最低で61㎏台まで低下しました。現在は63㎏前後で安定ですが、目標は68㎏です。ウェストは5㎝程度細くなり、それによりユニクロで沢山のセール品に出会えました。大体76㎝や79㎝あたりはセールになっていても少なかったり色もイマイチなものが多いのですが、70㎝や73㎝だと良い色のもセールに残っています。6本ズボンを買って7,200円という驚きのコスパも実現できました。 困るのは生活面で特に会食時です。大人数でコースを食べに行くときというのは非常に気まずくなるので徐々に外食が減ります。そもそも自分で選んで行く外食も、焼肉、焼き鳥がほとんどで、オシャレにイタリアンとかフレンチ(フレンチは比較的OK)とか、遠い昔の話となりました(※H28年に入ってからは肉に関しても良し悪しが有ることを知り、かなり摂取内容・量は変わりましたし、炭水化物も少し摂っています)。そして、飲みに行っても基本はハイボール、焼酎で、〆のラーメンなどは有り得ません。 食費は残念ながら1日1食でありながらかなりかさみます・・・・ しかし、悪いことばかりでは有りません。朝から何も食べずに水だけで普通に仕事は出来ます。朝・昼を食べていた時より時間は多く使えますし、血糖の変動による体調や頭の回転の浮き沈みが全くなくなります。運動面では朝から何も食べずに、マラソン前のカーボローディングなどしなくてもフルマラソンを走れますし、勿論ゴルフやテニスも問題なく出来ます。そして、感染症に対しての抵抗力は確実に上昇しました。これはketogenicによるものか、肉・野菜を大量摂取するからなのか定かではありません。(のちに肉の効果と推定。肉の大量摂取を止めた途端に風邪を引きました・・) IFについては普通に糖をエネルギー源として食事をしている状態でやるのはしんどいと思います。以前にあまり深く考えずに中途半端に糖(炭水化物)を取り、でもあまり摂取し過ぎないようにと考えて昼ご飯を抜いたりしていたら、結構な頻度で低血糖発作を起こしていました。人にもよるかもしれませんが、私自身は中途半端な糖が非常に悪さをしてしまうタイプと考えています。現状KetogenicをしていたらIFも問題なく出来ていて、これらを組み合わせてやるのは良いと思います。 Boulderingは興味がある人はやってみても面白いと思います。ほとんどの人はまずは自分の手の力の無さに驚くこととでしょう。 最初は手の皮が剥けまくり、手が思うように使えなくなります。血圧を測るのためにマンシェットを締めるのが困難になります。外科医はまずしない方が賢明です。テニス選手もやめた方が良いです。そして、肘、膝の擦過傷・打撲が後を絶ちません。また、ボルダリングシューズというのも曲者で、かなりきつい状態で履くので足先、特に爪に異常を来します。ただ、えらいもので半年も過ぎるとそのような手足が傷つくことは少なくなり、シューズもなじんできます。これら痛みや生活における種々の支障にもめげずに続けたら、徐々に上半身に筋肉が付いてきます。上記の食生活と組み合わせてやっていると、知らないうちに体重計に乗るのと鏡を見るのが日課になって来てしまいます。 日常への還元としては、日々のゴミだしや、スーツケースの持ち運びなどに役立ちます。 以上、今年の誕生日(H27年9月)を期に、この1年間でやってきたことをご報告させて頂きました。 近しい皆さんにはかなりの不評を買い続け、 「何を目指しているの?」 「まだやってんの?」 「いつまでやるの」 「もうええんちゃうの?」 「体に悪いやろ」 「もうやめたら」 「おまえ、めんどくさいねん」 などなど枚挙に暇がないほどの有難いお言葉を頂き続け、仕方なく 「1年やったらやめます」 と言って(言わされて)来ました。 しかし、せっかく1年間やったので、もう少し続けようかなと思います。 追記 その後、上記のデメリットも踏まえ、更に研究?を重ねて行き、現在は良質な脂質の摂取、適度なタンパク質の摂取をめざし、糖も少しはOKに規制緩和してやっています。現時点で言えることは、カロリー論や基礎代謝云々というものはいい加減なのだということと、いかに糖中毒者が多く、麻薬の元締めのように糖の元締めのような商売が多く世にはびこっていることがわかったことでしょうか。なかなか興味深いことばかりです。
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「ちょっといい話」(2015年度 会報より)
江本 敬 (豊中市 江本医院) ちょっといい話その1. 秋も深まってきたある日、3歳の女の子と5歳の男の子が母親に連れられて、軽い風邪で診察を受けに来ました。名前を呼ばれた二人が、ドアを開けて入ってきてすぐに、声をそろえて「先生、いつもありがとう」 と言って、小さな花束を二つ差し出してきました。 庭に咲いていたコスモスや野菊を摘み取って自分たちでこしらえた、ちっちゃなブーケでした。
ちょっといい話その2.
お蔭で2014年は清々しく穏やかでしかも爽やかな、本当にいい年明けになりました。しかし氏神様でのお御籤は、10年続いた「大吉」から「中吉」になって、家内も私も「旅立ち:延ばせ」とありました。 1月3日、松本へ行くのに新幹線で名古屋へ行こうとしましたが、有楽町の火事でまったく動いていない。動き出した新幹線は、すし詰めでまったく身動きが取れないという、大変珍しい体験をしました。 そして更に、7月に夏休みを取って八ヶ岳山麓へ行こうとすると、なんと豪雨による土砂崩れで、中央本線の特急しなの号は運行停止です。東京経由の大回りを余儀なくされるなど、やっぱり「・・・・神様の言うとおり」でした。
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亀岡市立病院麻酔科 橋本朋子 ![]()
私がこの会報に“筋トレの勧め”を書いてから8年もたちました。投稿するより6年くらい前から筋トレをし始めたので、もう14,5年続けていることになります。テニスの前に40分くらいサーキットトレーニングをしてからテニスをすることで、これまでずっと大きな故障無しにテニスを続けてこられました。同年代の方々があそこが痛い、ここを傷めた、と言われるのを聞きながら、私は大丈夫、と自負しておりました。 昨年の全日本医師テニス大会のシングルスで、27歳の打点の高いストローカーに負けてから、一年の目標を“彼女のように高い打点で、ラケットを身体に巻き付けるように打つ”、と言うことにして頑張ってやっておりました。特にコーチに習うわけでなく、我流で真似してみて、何となくそれができているような気になっていたのですが・・・・。それが思わぬ結果に。打点は上げられていたものの、力を抜いて、身体を回すようなスイングができていなかったのでしょう、そのために肩に負担がかかり、それがある日、若いコーチのスピンボールを高いところで打たされてズキーッ!!とうとう肩が悲鳴を上げてしまったのです。 それから、日常の生活動作にはほとんど支障が無いにもかかわらず、フォアハンドだけが痛くて打てない状態になりました。ストロークもボレーも、サービスも得意のスマッシュもできない・・。整形外科医には肩甲下筋の部分損傷だから、2ヶ月は安静、一番治りにくいところですよ、と言われ、リハビリの先生にはこの筋肉だけを傷めるなんて、他の僧帽筋や三角筋が発達している証拠、普通は50歳代の女性では、ここをやられる前にもう痛くて打てないよ・・・、先生の場合は筋トレがかえって災いしたかも?といわれ、本当にがっくり。今までまじめに筋トレして、故障も無くやってきたのに、何があかんかったん?これからどうしたらいい?もう7月末やのに、10月の全日本どうする?と落ち込んで悶々とする日が続きました。 しかし、やっぱりテニスがしたかった。2ヶ月もただ安静になどしていられません。思い切ってサウスポーに転向することを考え(今から思えば少し無謀か?)、左手でのボール投げからスタート。元々サウスポーの夫に投げ方を教えてもらったりして、部屋の中で、壁に向かってテニスボールを投げる練習。はじめは思ったところに投げられずに、照明器具に当たって、上から埃が舞い落ちてきたり、思わぬ跳ね返りでおでこにあたったり・・。でも毎晩続けていたら、少しずつ上手になり、ほぼ思ったところに投げられるようになりました。これはいけるかも、とサービスも左で、ストロークも左で練習してみました。さすがに、これはそうそううまくいかず、なんだか左肩まで痛くなってきて断念。
フォアハンドではインパクトの時が痛むので、次はフォアハンドをすべてダブルハンドで打つことにトライ。やってみると・・・・痛くない!これならコートで練習できそう、と嬉しくなり、それ以来ダブルハンドでの練習を続けました。(2ヶ月安静、と言われたけど実際休んだのは2週間だけ・・・。) ダブルハンドストロークは慣れないとボールとの距離感が掴みにくいし、急なバウンドの変化に対応する微調整が難しいけれど、左肩が入るので、打つ方向が相手に読まれにくい利点がある!ボレーもダブルハンドの方がコンパクト!リーチは狭くなるけど、大振りしてサイドを割るミスが減った〜!いいじゃん、いいじゃん。 ![]() 問題はスマッシュとサービス。スマッシュの代わりに早く下がってハイボレー(これもダブルハンド)でコースを極める、サービスはアンダーないしは低い打点でフローターサーブの要領で、というように工夫して練習しました。今までのように気持ちよくスマッシュやストロークでエースポイントを取るテニスはできなくなりましたが、このようにテニススタイルを変えて、ポイントの取り方も工夫していくのは、新しい事へのチャレンジでこれがまた案外楽しいのです。左手でのボール投げのおかげで、とっさの時には左手に持ち替えてハイボレーすることもできるようになりました。 故障も捨てたものじゃあありませんね。ちょうど私にとっては筋力に頼るテニスから今後年を取っても続けられるテニスへの転換期だったのだろうと思います。筋トレで自信過剰だった私が、やっぱり年齢相応に身体は変わっていく、若い人の真似をしてもダメなんだと、頭で分かっていたことではあるのですが実感として認めざるを得なかった大きなイベントでした。(実際、8年前に“筋トレの勧め”を投稿したときには微妙に縦に割れていたお腹も、今や、横に2列に割れてしまっています・・・。とほほ。) こうしてまだ不完全ながら、ダブルハンドテニスで今年の全日本医師テニス大会は挑戦しました。ミックスダブルスは初めて夫と組んで出場したのですが、今回は私がサービスやスマッシュで決められないので、夫はそのぶん今までのように私に頼ることなく自立して(!?)頑張ってラリーを続けてポイントを取ってくれるようになり、皆さんに“悟先生すごくうまくなったね〜”と誉めてもらってこれもまた“けがの功名”かも。 全日本医師テニス大会の講演は副島先生の、肘・手関節の障害について、でした。夫はテニスエルボーがあるので、熱心に聞いていました。私も今回の故障から、スポーツ障害についてはかなり興味津々。最近の治療トピックスも交えてくださって、知らないことも多く、とても勉強になりました。最後に副島先生が、 “大事なことは自己を過信することなく、年齢やレベルにあったテニスをすることです!” とまとめられたときには、テニスにおいては今までさんざん私に偉そうに言われ、今回の故障については愚痴の聞き役、励まし役、球出し役をさせられた夫は、“その通り!まさにそれ!”と拳を握りしめてうんうん頷いておりました・・・・。ごめんね。 ダブルハンドでテニスをしていると、腕や肩への負担はずいぶん軽くなるようです。先ほど述べたように、戦術上の利点もあります。いかがですか?肘や肩に不安のある方、ダブルハンド、お勧めですよ〜。医師会中高年メンバーでダブルハンド仲間増やしましょうよ。 (以前筋トレの勧めを書いたときも、筋トレ仲間増やしましょうよ、と結んでいたみたい。) 皆さんにも、いろいろな故障と闘ったり付き合ったりのご経験がおありでしょう。私の体験談など、珍しくもないことと思いますが、これを読まれて、ああ、あの筋力テニスの彼女もおばあさんテニスの領域に入ったか〜とお笑い下さい、そして、“80歳までできるテニス”の知恵や工夫をお互いに情報交換し合って、ご一緒に息長く楽しみましょう!(それでも筋トレは大事ですよ。私が次に用心するのは腰かしら?膝かしら?iPS細胞を移植するわけにもいかないし、老化と付き合うこれからの30年、やっぱり筋トレだ〜!と懲りない私。今後ともよろしくお願いいたします。)
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『個人情報漏えい保険』 (2014年度 会報より) 鷲見宜彦(スミ内科 豊中市)
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